うつ病

自分の感情経験と言えば、真っ先に浮かぶものは置いておいて、次に浮かぶものはうつ病の経験です。
米国駐在から会社に戻って9か月目。12月中旬だったと記憶しています。アメリカでの高いテンションと、日本でのあわてない、あせらない取り組み方とのギャップが埋められず、「自分はあんなこともこんなことも閃くんだ」と空回りしていて、回りに比べて何もしていないことに気がついたときに、些細なことがきっかけで、その日の夜に症状が出ました。
急に不安で体が震えて、「この震えを止めないと死んでしまう。震えを止めるためには・・・そうだベランダから飛び降りたら」と8階の寮の部屋で窓を見ていた。よく生き残ったものです。自殺というのは自らの意志で死ぬだけではないことがわかった。
それから2,3ヶ月ほとんど仕事もしないまま会社に行くだけの生活が続きました。3月ごろから回復して、その時のメモが残っています。

(1999年3月25日)
「鬱の時代」
桂枝雀さんが自殺未遂というニュースがありました(3月25日)。少し以前に鬱の激しい状態にあったが、回復に向かっていた矢先という報道もありました。事実はどうかわかりませんが、昨年強い鬱に襲われた私には、他人事に聞こえません。
鬱は大きな原因で起こるとは限らず、”おかしい、こんなはずでは”という些細な出来事の積み重ねによっても起こります。些細な失敗の蓄積がやがて好奇心を奪い、すべてにおっくうさを感じるようになります。おっくうさというのは好奇心の減衰を示す感情です。好奇心という最大のエネルギーを徐々に失い、自信喪失の状態の中でなんとかしなければという気持ちから責任感、重圧感だけが増大していくのです。やがて、どうしようもない重圧と無気力に、まるで「肉体が滅びる前に魂が死んでしまった」ような気持ちになります。そしてある日、些細な失敗から、文字通り体の震えが止まらない不安に襲われ、この震えが続くくらいなら窓から飛び降りた方がいいと思うのです。
このピークを乗り越えると回復が始まります。それは決して順調なものではありません。失った好奇心が少しずつ戻ってくるのですが、何かを考えようとする時、自分が関連情報をほとんど覚えていないことに気づきます。好奇心の喪失は、強度の記憶障害も引き起こします。決して大げさな表現ではなく、本を読む時、前の文章が思い出せないのです。そんな状態に数ヶ月あった後に、もう一度創造的なことに挑戦した時、好奇心を取り戻しても、自分が昔の自分ではないことを発見して、今度は激しい絶望感に襲われます。
依然、軽い不安と、それから来る手の震えは治まりませんが、危機的状況が乗り越えられたのは、職場に恵まれたことが大きかったです。後は、運が良かったとしか言いようがない。
長い前置きでしたが、私に限らず、最近、抑鬱症が非常に増加していることが指摘されています。鬱の根本原因は、安心の喪失と夢の喪失にあると思います。(TCA、MAO、最近では、SSRIといったケミカルな薬物療法が主流になりつつありますが、薬物療法は、遺伝的あるいは後天的なホルモン異常でない限り、私には対処療法に思えます。)家庭に恵まれれば安心につながります。尊敬する人を見出すことができれば、夢につながります。(そういえば、「尊敬」という言葉を聞かなくなってから久しくなります。自分自身を振り返っても、以前は回りに尊敬する人が何人かいましたが、今はいません。人を理解する力が落ちているのかもしれません。)ここで重要なのは、娯楽は安心にも夢にも直接つながらないということです。娯楽はアルコールと一緒で、コミュニケーションの潤滑剤として重要ですが、個人をターゲットにした場合、基本的に気を紛らわす効果しかない。にもかかわらず、ブロードキャストメディアのほとんどがこの個人向け娯楽に時間を費やし、また、コンピュータの将来の第1候補として嘱されています。ビジネスはビジネスと言われたらそれまでですが、スタンダードだからという理由で優位性のないものが独占的に売れる現代、「売れるから」という思想のない物作りを越えて、ユーザーに何かを提示しなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。

この経験のおかげで、世の中の色々な出来事がニュースで流れるほど単純なことではないという見方ができるようになりました。決していい経験ではありませんでしたが、私にとってかけがえのない貴重な経験です。