二元論

意識と物理法則の関係をつらつらと考えるうちに、以前は、言語学的仮説を考え出しました。あれでも、ある種の思想体系が作れそうだと思っていますが、やはり意識は存在するという明確な世界観も欲しいと思いました。
意識というものを特別視して物理と相反するものと考えると、色々な人が議論しているジレンマに陥りますが、ふと、世界が具象と抽象から成ると考えれば自然に受け入れられそうな気がしました。0、1、2といった数は自然界のどこを探しても見つかりませんが、抽象的な概念としてまぎれもなく存在しているという実感があります。ここで具象と抽象から成る世界観を作る上で大切なことは、おそらく抽象の世界には、現在という抽象は存在しても、時間的変化が存在しないということです。時間的変化という抽象は存在するのですが、各抽象は変化することはない。抽象の世界では「ある」ことがすべてだということです。
具象の世界では、相反的に時間的変化は存在するのですが、今のところ、人間は具象の世界で現在を具象的には知覚していません。なぜなら人はコミュニケーションするために再現性(還元論的自然科学の指導原理)を重視しており、具象の世界のうち、再現性のある規則(すなわち自然科学的法則)は再現性故に現在という概念が表現できなくなるのです。
さて、ここで意識に戻ると、個々の意識は変容するものであり、時間的変化のない抽象の世界には属していないかのように思えます。かといって具象の世界に属する実体にも思えない。
ああそうか。きっと意識は、クラス(抽象)でもインスタンス(具象)でもオブジェクト(抽象、具象ひっくるめた世界の構成要素)でもなくて、気まぐれにガーベッジコレクションするバーチャルマシンなのでしょう。
冗談はさておき、イデア論は読んでおかないといけないことがわかりました。