日本碁界のこれからを想う

日本碁界にとって平成とは木谷門下の全盛が終わり、日中韓三国最強から最弱にすぐ転落し低迷した30年でした。

日本の至宝、井山裕太が生まれ、日本史上最強を誇り、平成の終わりに残念ながら絶頂を下りつつある30年でした。

 

平成の前、昭和に目を向けると、子供が碁に没頭できる環境だった木谷道場は園田泰隆九段(61歳)が最後の内弟子(1970年入門)となりました。

一方で、韓国は、曺薫鉉九段の応氏杯優勝(1989年)により囲碁ブームが起こり、子供の囲碁塾の盛況を通じて李昌鎬、李世乭の2大スーパースターを生み出します。

中国では、陳祖徳九段が日本の棋士に勝ったことや聶衛平九段の日中スーパー囲碁(1984年〜)での神がかり的活躍で韓国より早く囲碁ブームを迎えましたが、子供の教育に関しては韓国のブームを見てから追従したようです。そして今、世界戦を中国が席巻しています。

どうやら囲碁というゲームは、10歳前後の10年の間にどれだけ打ち込んだかを証明するゲームのようです。

中国では初等教育より優先して碁の訓練をするようですし、韓国はそこまで行かなくても今のところまだ習い事として囲碁が定着しているようです。

一方で日本では義務教育の縛りもあれば、囲碁人口の衰退とともに子供が碁を打つ環境も激減、井山裕太という平成生まれの子供が世界戦で戦えるまでに強くなったのは奇跡に違いないです。

ただ残念なことにその強さは世界(=中国)レベルでは奇跡ではなく、何十人という若き強豪の中に埋もれてしまいます。韓国の10名ほどが未だ中国の強豪と競っているのは井山裕太とは別の奇跡と言えるでしょう。

 

井山さんが七冠になった時、世界で戦いたいことを口に出し、その後、新初段も目標として「世界」を口にするようになりました。

ただ、先程書いた通り、碁は10歳前後の10年の努力でほぼ決まるゲームだとすると、時すでに遅しということになります。

最近、仲邑菫さんが10歳にしてプロ棋士になりました。彼女なら年齢的に間に合いますが、果たして日本の義務教育とプロ棋戦とメディア対応をこなして、同年齢の中韓棋士志望より努力ができるのでしょうか?

もしも、世界と伍していくことを目指すのなら、日本も才能ある子どもに初等教育よりも訓練を優先するような天才教育が必要となります。

しかし、それが果たして人の幸せにつながるのでしょうか?もうおそらくAIには逆立ちしても勝てないだろうゲームなのに。私にはそうは思えません。

 

現在の、 AIに対する人の優位性は、人はルールや目標を替えることができるということです。

日本囲碁界はこの優位性をフルに発揮してほしい。

 

藤沢秀行九段の名言に「碁は感情の発露である」というものがあります。これを聞いた時私もまさしくそうだと思いました。囲碁とは、何かを表現できる気持ちが沸き起こるゲームなんだと。

現代では、研究とAIによって碁は最適化問題にぐっと近づきつつあります。

日本の囲碁界が貢献できることは、多分もはや最適化問題に寄与することではなく、ルールや目標を変えてでも碁をもう一度「感情の発露」に回帰させることではないでしょうか?

 

例えば、コミなし打ち込み制に戻せば、AI定石は絶対とは言えなくなります。互角でない局面からは本来定石は生まれない。今のAI定石は互角のまま局面を狭くする手法と言えますから、上手はこれを避けて変化することになります。その際、指標として立ち上ってくるのは、今のAIでは把握することはないであろう局面の複雑性です。

例えば、AIの評価値を対局者が見ながらの対局。囲碁は、はっきりしているはずの局面でさえ、大判解説でプロ棋士が形勢をなかなか示せない特異な競技です。ならばいっそ対局者も解説も観戦者もAIという人外の形勢判断を共有したらいい。従来の囲碁とは別の、勝敗の緊張感を対局者と共有できるゲームになるかと思います。

 

以上2つの例は単に私が今ふと思いついただけのものです。言いたいことは可能性は色々あるんじゃないかということです。

新聞社の保護の下、伝統維持を名目に変わらぬルールで棋戦を行い、世界戦では勝てないことを繰り返してもあるのは碁界に対する幻滅と失望だけでしょう。

 

私は高校の時からプロレスが好きでした。プロレスというショーは興行を成功させるために様々な趣向に挑戦してきた栄枯盛衰の歴史を持っています。

日本囲碁界は是非、このプロレス精神を取り入れて、豊かな世界を切り開いていただきたいと思っています。

(礼節と伝統を重んじる囲碁にプロレスの真似をしろなんて思う方がおられるかもしれません。それは囲碁の歴史に関する無知と私は思います。

かつて読売新聞は、本因坊秀哉と雁金準一の因縁の対決を「大正の大争碁」とスポーツ新聞のプロレス欄のように紙面で煽り、部数を3倍に伸ばしました。プロレスが世間に認知される20年以上前のことです。明治維新を財界政界の要人の庇護で生き残った碁打ちは、碁を興行化することで普及を果たしたのです。時代に合った興行こそが囲碁界の伝統だと思います。

括弧内は、私も当時を知らないので、本でかじった内容を自分の都合のいいように解釈して書いているだけですが^^;)