なぜ私は「外科室」を姦通小説だと思うのか

今年(2024年)の7月に正月の能登半島地震の復興応援に金沢と穴水に旅行に行ってきました。

金沢ではネット上の知人と会うという思い出深い旅行になりました。

後日、金沢が排出した小説家泉鏡花についてやり取りすることがあり、入門として「外科室」を薦められました。

明治の単語/文体さえ戸惑わなければ短時間で読める短編小説です。

www.aozora.gr.jp

9年前にすれ違い、互いに一目惚れした二人が、それぞれの立場で緊張した再会と激情の最期を迎える純愛小説と理解されているようです。

しかし、私には不可解なことが多い小説でした。そもそも、一目惚れで死を選ぶことがあるのでしょうか。

 

以下は、私が、「外科室」は純愛小説ではなく姦通小説であるという論考になります。

 

まず、疑問点を洗い出します。

 

1. 「予」は画師であることを口実に手術を見学させるよう余儀なくしましたが、高貴な赤の他人の手術を見学することがそんな理由で可能でしょうか?

明治の医師のモラルについては無知ですが、常識的に不可能とすると「予」は高峰医学士の弱みを握っていたと考えられます。

 

2. 「夫人」の姐御肌の言葉遣いは一体いつからなのでしょうか。

「夫人」は婚前から貴族と解釈はできますが、貴族は姐御肌言葉なのでしょうか?

高峰医学士と「夫人」が初めてすれ違ってから9年の歳月が流れています。9年という年月は未婚者の言葉遣いをこれだけ変えるのに十分な長さでしょうか?

 

3. 「夫人」の秘密とは何だったのでしょうか?

純愛解釈によれば、結婚前の高峰医学士の恋慕を9年間抱え続けたことが秘密となりますが、これは果たして秘密と言えるのでしょうか?貞操観念の強い明治でも結婚相手とは別の初恋の思い出まで禁ずるとは思えません。

 

4. 高峰医学士は麻酔を拒否する「夫人」に迷いなくメスを入れます。たった一度すれ違っただけの女性にそんな大胆な行動ができるでしょうか?

二人の間に強い信頼が築かれていると解釈するのが常識的と思います。

 

5. 9年前にすれ違った描写中、「一人は丸髷じゃあないか」という外野のセリフを盛り込んでいます。なぜなのでしょうか?

丸髷は既婚女性の髪の結い方だそうです。純愛解釈では「夫人」とは別の誰かとみなし、「夫人」は9年前には未婚だったと想定しているようです。

 

6. 「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君はお手のものだ、勉強したまえ」「夫人」を見た時の高峰の感想です。非常に冷静と思いました。9年間抱えるほどの恋心の発端はこうも冷静なものでしょうか?

 

以上が私の疑問になります。

そして、高峰と「夫人」は貫通していたと解釈すればすべての疑問が解決します。

 

疑問1. 「予」は高峰と「夫人」の姦通を知っていた。なので手術の見学を強要できました。

 

疑問2. 9年前「夫人」は既に既婚でした。長く子宝に恵まれず「伯爵」とも冷えた関係だったかもしれません。手術当時伯爵夫人として十分な時が経ち、姐御肌言葉が普通になっていました。

 

疑問3. 「夫人」と高峰は姦通しており、7,8歳の「姫」は二人の子です。これが「夫人」の大きな秘密です。

 

疑問4. 高峰は貫通した「夫人」の覚悟を知るが故に迷わずメスを入れます。

 

疑問5. 3人の女性の中の丸髷の人こそ「夫人」だったのです。

 

疑問6. 二人の関係は、すれ違いの恋煩いではなく9年近く前の姦通だったのです。

 

二人の毅然とした態度から考えて姦通は一度きり。その時に「姫」を孕ったのでしょう。二人はこのことを墓場に持っていく覚悟をしました。

 

「でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!」

この言葉は、高峰を姦通罪から守るために搾り出した嘘です。応じた高峰の

「忘れません」

は、それをよしとせず「夫人」との愛を告白しました。

 

足早になりましたが、以上が私の解釈です。

純愛小説としての「外科室」ファンの方にはお叱りを受けるかもしれません。

一読者の感想として受け流しください。

「眠り、夢見る脳こそ進化の源だった」という仮説

(2023/4/30に間違えて別のブログに投稿した記事です)

久しぶりに「タイプするサル」に相応しい妄想が浮かんだので記事にします。

進化論を勉強したことはありませんが、いくら長い長い時間をかけても、突然変異と自然選択で生き物が陸に上がったり空を飛んだりするわけないやろと思っていました。

しかし閃いたのです。夢見る脳なら可能では?と。

運動が生存に有利になることは容易に想像がつきます。
なので、生物が、筋肉/骨、脳+運動神経を獲得することに関しては私自身は今のところさほど疑問はありません。

さて、ここからが私の仮説です。

突然変異によって、ある生物の脳が睡眠と夢を手に入れます。
この突然変異が生き残る条件があったとしましょう。
これはこの仮説の重要な要件になります。他が起きているのに眠ることは生存上不利と思われますから。

睡眠と夢の機能とは言わばシミュレーションです。
記憶を適当に(ランダムかどうかもわかりません)組み合わせた仮想経験を脳の中で行います。

例えば、海の中で揺蕩っている生物が、あるとき泳ぐ夢を見る。
すると自分は泳げるんだと!と、目が覚めても、ないヒレを執拗に(パラノイアとなって)動かします。
この個体は見た目何も成し遂げず命を全うしますが、こういう個体の中に、ヒレの元となる突然変異を得たものは、ヒレの元を動かす姿を子供に見せることができます。つまり子供は泳ぐ夢を見る必要はなく、親に習ってヒレの元を動かすのです。
この継承によって、この生物の子孫は、突然変異の繰り返しによりヒレを獲得します。

動物が陸に上がるのも、空を飛ぶのも同じ理屈です。

動物の突然変異が機能したのは、夢見るパラノイア脳のおかげだったのです。
単に遺伝子の異常の繰り返しより、進化を遂げる確率ははるかに増すはずです。
すべての動物が眠る理由、夢見る(夢見ているか知りませんが)理由の進化論的理由にもなります。

以上、妄想でした。

スマホ代大航海時代

お久しぶりです。

 

菅首相が仕掛けられたスマホ回線の価格競争、すごいことになってきました。

 

先日auからpovo 2.0が発表されました。

 

povo.au.com

 

私はあまりスマホを使わないので、そういう面に目が行きます。

  • 基本料金0円(ただし180日間トッピングがないと利用停止)
  • データトッピング1GB 390円(有効期限7日)
  • データトッピング3GB 990円(有効期限30日)
  • ...
  • 5分かけ放題 550円/月
  • ...

なんだこりゃ?なぜ1GBの有効期限が30日じゃないの?と不思議に思いました。

povo 2.0はデータをトッピングしないと回線速度は128kbpsです。今時使い物になりません。データトッピングをスポット的(7日)に使うのは普通無理なので結局3GBをトッピングすることになり、他社さんと同程度ということになります。

こりゃターゲットは実質大容量の人たちだけで、あまり使わない人には魅力ないねと。

 

ところが、知人から「私データ要らない。5分かけ放題にすれば利用停止にはならないよね?」と言われました。

その瞬間、povo 2.0が輝いて見えるようになりました。5分かけ放題で月額総額550円のサービスは今までなかったはずです。他社に同じ額のオプションはありますが、他社は必ずプラス基本料金が付きます。

これはすごい!

これより安い回線はおそらくRakuten UN-LIMITで通信量1GB以内に収めてRakuten Linkで無料通話するぐらいでしょう。(ただ楽天はまだ回線に不安があったり、Rakuten Linkの品質が良くなかったりという問題があります)

 

それにしても、このスマホ時代に「私データ要らない」って無理でしょう?128kbpsってADSLより前のISDNの速度でっせ?

 

ところがです。今比較に上げたRakuten UN-LIMITがあるではないですか!

Rakuten UN-LIMITは1GBまでなら4Gでも5Gでも無料です。

 

つまり、今時のスマホのnanoSIM/eSIMを駆使して、メインデータ回線にRakuten UN-LIMIT、メイン通話回線にau povo 2.0を契約すると、月額基本量550円で高品質5分かけ放題、高速通信容量1GBという格安通信回線が実現します。

 

すごい時代になりましたねぇ。

 

ちなみに私はLINEMO miniです。1GBではちょっと足らないので。

日本碁界のこれからを想う

日本碁界にとって平成とは木谷門下の全盛が終わり、日中韓三国最強から最弱にすぐ転落し低迷した30年でした。

日本の至宝、井山裕太が生まれ、日本史上最強を誇り、平成の終わりに残念ながら絶頂を下りつつある30年でした。

 

平成の前、昭和に目を向けると、子供が碁に没頭できる環境だった木谷道場は園田泰隆九段(61歳)が最後の内弟子(1970年入門)となりました。

一方で、韓国は、曺薫鉉九段の応氏杯優勝(1989年)により囲碁ブームが起こり、子供の囲碁塾の盛況を通じて李昌鎬、李世乭の2大スーパースターを生み出します。

中国では、陳祖徳九段が日本の棋士に勝ったことや聶衛平九段の日中スーパー囲碁(1984年〜)での神がかり的活躍で韓国より早く囲碁ブームを迎えましたが、子供の教育に関しては韓国のブームを見てから追従したようです。そして今、世界戦を中国が席巻しています。

どうやら囲碁というゲームは、10歳前後の10年の間にどれだけ打ち込んだかを証明するゲームのようです。

中国では初等教育より優先して碁の訓練をするようですし、韓国はそこまで行かなくても今のところまだ習い事として囲碁が定着しているようです。

一方で日本では義務教育の縛りもあれば、囲碁人口の衰退とともに子供が碁を打つ環境も激減、井山裕太という平成生まれの子供が世界戦で戦えるまでに強くなったのは奇跡に違いないです。

ただ残念なことにその強さは世界(=中国)レベルでは奇跡ではなく、何十人という若き強豪の中に埋もれてしまいます。韓国の10名ほどが未だ中国の強豪と競っているのは井山裕太とは別の奇跡と言えるでしょう。

 

井山さんが七冠になった時、世界で戦いたいことを口に出し、その後、新初段も目標として「世界」を口にするようになりました。

ただ、先程書いた通り、碁は10歳前後の10年の努力でほぼ決まるゲームだとすると、時すでに遅しということになります。

最近、仲邑菫さんが10歳にしてプロ棋士になりました。彼女なら年齢的に間に合いますが、果たして日本の義務教育とプロ棋戦とメディア対応をこなして、同年齢の中韓棋士志望より努力ができるのでしょうか?

もしも、世界と伍していくことを目指すのなら、日本も才能ある子どもに初等教育よりも訓練を優先するような天才教育が必要となります。

しかし、それが果たして人の幸せにつながるのでしょうか?もうおそらくAIには逆立ちしても勝てないだろうゲームなのに。私にはそうは思えません。

 

現在の、 AIに対する人の優位性は、人はルールや目標を替えることができるということです。

日本囲碁界はこの優位性をフルに発揮してほしい。

 

藤沢秀行九段の名言に「碁は感情の発露である」というものがあります。これを聞いた時私もまさしくそうだと思いました。囲碁とは、何かを表現できる気持ちが沸き起こるゲームなんだと。

現代では、研究とAIによって碁は最適化問題にぐっと近づきつつあります。

日本の囲碁界が貢献できることは、多分もはや最適化問題に寄与することではなく、ルールや目標を変えてでも碁をもう一度「感情の発露」に回帰させることではないでしょうか?

 

例えば、コミなし打ち込み制に戻せば、AI定石は絶対とは言えなくなります。互角でない局面からは本来定石は生まれない。今のAI定石は互角のまま局面を狭くする手法と言えますから、上手はこれを避けて変化することになります。その際、指標として立ち上ってくるのは、今のAIでは把握することはないであろう局面の複雑性です。

例えば、AIの評価値を対局者が見ながらの対局。囲碁は、はっきりしているはずの局面でさえ、大判解説でプロ棋士が形勢をなかなか示せない特異な競技です。ならばいっそ対局者も解説も観戦者もAIという人外の形勢判断を共有したらいい。従来の囲碁とは別の、勝敗の緊張感を対局者と共有できるゲームになるかと思います。

 

以上2つの例は単に私が今ふと思いついただけのものです。言いたいことは可能性は色々あるんじゃないかということです。

新聞社の保護の下、伝統維持を名目に変わらぬルールで棋戦を行い、世界戦では勝てないことを繰り返してもあるのは碁界に対する幻滅と失望だけでしょう。

 

私は高校の時からプロレスが好きでした。プロレスというショーは興行を成功させるために様々な趣向に挑戦してきた栄枯盛衰の歴史を持っています。

日本囲碁界は是非、このプロレス精神を取り入れて、豊かな世界を切り開いていただきたいと思っています。

(礼節と伝統を重んじる囲碁にプロレスの真似をしろなんて思う方がおられるかもしれません。それは囲碁の歴史に関する無知と私は思います。

かつて読売新聞は、本因坊秀哉と雁金準一の因縁の対決を「大正の大争碁」とスポーツ新聞のプロレス欄のように紙面で煽り、部数を3倍に伸ばしました。プロレスが世間に認知される20年以上前のことです。明治維新を財界政界の要人の庇護で生き残った碁打ちは、碁を興行化することで普及を果たしたのです。時代に合った興行こそが囲碁界の伝統だと思います。

括弧内は、私も当時を知らないので、本でかじった内容を自分の都合のいいように解釈して書いているだけですが^^;)

iPadアプリ「囲碁の師匠」絶賛?発売中!

自作のiPadアプリ「囲碁の師匠」が11月16日に発売になりました。

以下は紹介ベージです。

https://new3rs.github.io/a_master_of_go/index.ja.html

ご興味お持ちいただけたら幸いです。

井山六冠張栩九段が見せてくれた「この一局から」

そろそろ、はてなダイアリーの引っ越しを考えないといけません。みなさんはどうされますか?


4ヶ月前(「観る碁のための「この一局から」を求めて」)、「私のようなAlphaGoショックの観る碁ファンにこんな日が訪れるのはいつになるのでしょうか」と最近の心情を吐露しました。


果たして4ヶ月というのは長かったのかそれとも早かったのか。井山さんと張栩さんが観る碁ファンにとっての「この一局から」にふさわしい碁を見せてくれました。

第43期名人戦七番勝負第五局、井山名人の黒番。



ELF OpenGoのウェイト(v1)を使ったLeela Zeroは白196を支持していました。これで白持ち(勝率77%)と。


ここまで、穏やかながらLeela Zeroの評価値も安定した緻密な序盤から右上で我慢する黒に対して白がポイントを稼ぎ、黒が左辺と下辺でポイント、黒が仕掛けた右辺のコウが無理気味で再度形勢が白に傾きかけ、白持ちのヨセが続くかと観ている誰もが思ったところ。



既に秒読みに入っている井山名人、時間つなぎと準備工作を兼ねた黒197から黒199、201!
右辺のシチョウを防げば上辺の白が死に、上辺に手を入れれば右辺がごっそり黒地に変わります。候補手にすら入らなかった199, 201を見てLeela Zeroの評価値はじわじわと互角に近づき、そして全手探索状態に入ります。
全手探索状態とは盤面全体が候補手になる状態で、どの手を評価しても直前の評価より悪くなる場合に起こります。つまり、Leela Zeroが「おかしい。こんなはずでは」と思う瞬間です。


この時、私は李世乭さんがチャレンジマッチ第4局でAlphaGoに対して放った「神の一手」を思い出しました。
あるいは最近では将棋の藤井七段の「△7七同飛成」ですか。

「部分的には人間の方が深く読める局面もある」
藤井聡太七段


ELF OpenGoのウェイトを使ったLeela Zeroはおそらく当時のAlphaGoより強いはずです。そのAI相手に井山さんは李世乭さんに続く「神の一手」を放った。


井山名人の「神の一手」に対して挑戦者の張栩九段は渾身のフリカワリ策に出ます。2時間近く余す持ち時間を小刻みにしか使わず、井山名人にコウ材探しと複数のフリカワリの形勢判断をさせる時間を与えません。その決断力が功を奏して張栩九段が熱戦を制しました。


「神の一手」と人間ならではの勝負術。


おそらく井山六冠と言えどももはや囲碁AIに勝つことはできないでしょう。大局観が違いすぎて手どころの局面まで持っていけないと思います。それでも手どころの局面ならAIを上回ることを大舞台で見せてくれました。


本局のような名勝負はそうそう見ることはできないと思います。多分また、AIの評価値を見てこの手とこの手がよくなかったねぇとタイトル戦、世界戦を冷めた目で観る日常に戻るのでしょう。それでも、AIを越える一手とそれを迎え撃つ姿をこの先また観られるかもしれないと思えば、灰色になった観る碁人生に彩りが蘇ってくるのです。


ありがとう井山さん、ありがとう張栩さん。

観る碁のための「この一局から」を求めて

4年半続けた棋戦中継サイト耳赤の運営を4月に終了しました。現在は棋譜は公開せず自分の観戦用にほそぼそとサイトを動かしています。

止めた理由はAlphaGoショックですね。
初めてAlphaGoを観たとき、囲碁ドラゴンボールのような世界だと確信しました。神様の上に界王が居てその上に大界王が居てその上に界王神が居てその上に大界王神が居て…
それを証明するかのようにDeepMind社はAlphaGo LeeのあとAlphaGo Master, AlphaGo Zero/AlphaZeroを産み出します。そして界王拳の極意のようなAlphaGo Teachを残してこの世から消えました。

その後の棋戦中継では、中継中の対局の前例がAlphaGo Teachになってしまうことがしばしば。若手の間ではAlphaGo Teachで提示された手を勝率とともに覚えている人も居るらしく、坂井秀至八段は大盤解説で「碁は覚えるもんになったみたい」と最近の状況の驚きを笑いで表現されました。

これまでプロの素晴らしい棋譜がより多くの人の目に触れる機会になりますようにという想いでリスクを取って、耳赤を運営してきましたが、AlphaGo Teachと同じものをリスクを取って公開しても仕方ないんじゃないかという気持ちがよぎりました。

勝率はともかく世界のトッププロもAlphaGoの手を真似る時代です。第一人者不在の世界。AlphaGoと対決した李世乭さんが「第一人者の孤独」を知る最後の棋士になってしまいました。

かつて、趙治勲さんは大三冠を初めて達成したとき、秀行先生から「おめでとう、しかし、まだまだだ。しっかり勉強せいよ」と声を掛けられたときこう答えたそうです。「はい。しかし何を勉強すればいいのでしょうか」

どんな世界でも本来第一人者は「わからない」最前線に居て孤独なはずなのに、囲碁では、ボードゲームでは、コンピュータが教えてくれるようになってしまいました。
呉清源先生は「プロから見たらアマ5段も5級も一緒」と言われたそうですが、囲碁AIから見たら「トッププロもアマ5段も一緒」という時代に突入しつつあるのだと思います。プロ棋戦を囲碁AIで評価しながら観るとそう思わざるをえないぐらい形勢が揺れ動きます。

ヒカルの碁」のヒカルは佐為が消えたあと、自分で碁を打ったことを激しく後悔し佐為を求めました。そしてもう一度自分で碁を打つことで盤上に佐為を見つけました。(第139局「この一局から」)
私のようなAlphaGoショックの観る碁ファンにこんな日が訪れるのはいつになるのでしょうか。