人を傷つけるということ

私は何かの拍子に故意に人を傷つけることがあります。事実はごまかせない。一番さかのぼると、小学生のときですか。社宅に住んでいた女の子にひどいことを言った。死ぬまでに謝罪する機会があればいいのですが。
数え出したら切りがない。普段は決して悪い人間ではないのですが、何かしら少しでも感情を逆撫でされると、普段は浅く眠っている攻撃性がかっと目覚めて、目的達成のための最適な言葉や態度を構築、実行します。普段相手に抱いている好意も攻撃性が目覚めているときには意味をなさなくなる。「切れる」とは違うので、凶暴性というよりは意地悪に近いのですが、相手に与える精神的効果におそらく違いはないでしょう。
今までにも書いて来た攻撃性と救済心。本音と建前というほど自分を卑下するつもりはありませんが、矛盾がいやおうなく心の中に存在しています。
そんなことを改めて考えるタイミングに合わせるかのように、知人から映画を紹介してもらいました。

歌は今の日本人用でしょうね。
傷つけた人たちには大変申し訳ないのですが、決して平坦ではない人生のドラマの中では、誰の脚本か、私のような人間も脇役として組み込まれているのですよ。