なまえさんとの対話
通りすがりの人のいたずらかと思い、コメントを削除させていただいたのですが、再度コメントいただき、俄然興味が湧いて、対話をしてみたくなりました。
コンテキストとコメントを改めて、ここに掲載しますので、是非対話をしましょう。
2008-10-14の記事「NHKオンデマンド」の私の最後の一言が発端。
私:そろそろ躁の終わりか。
なまえさん:躁だとか鬱とか気安く言わないで欲しい。貴方がそうならば、だから何だと言った感じ。克服した人から見れば、本当にしゃらくさい。
私:(なまえさんの上記コメントを削除して)
私:なまえさん、書き込みありがとうございました。
私:内容からブログでの対話は難しいと感じましたので、削除させていただきました。
私:ご病気の克服に敬意を表し、ご多幸をお祈り致します。
なまえさん:「感じ」で一方的に削除するのなら、この貴方のも消して下さい。皆さん不信感や嫌悪感を市川君の方に「感じ」てますよ。
私:(記事の中から「そろそろ躁の終わりか。」の一文となまえさんのコメントを削除して)
私:この記事に関して、削除の希望がありましたので、削除しました。
以上が今までの対話。
さて、最初のコメントに戻って。
私の躁鬱ですが、健常者の感情の起伏の範囲内と自分で思っているので、確かに、症状の緩和を努力された方から見たら、しゃらくさいでしょうね。でも、一般的に言って、躁とか鬱とかそんなに重い意味で使うでしょうか。落ち込んだ時に「ああ鬱だ」とつぶやくのが私の言語感覚です。克服の対象となるものは別の症状でしょうね。
二番目のコメントに対しては、対話というよりは、コメントに対する私の今の分析を書きます。
- 私に対してかなりの嫌悪感をお持ちのよう。思い当たる節は多々ある。しかし、それを匿名で表明しそうな人となると思い浮かばない。
- 「市川君」と言われてしまったが、実名サイトからリンクが張ってある実名ブログなので、誰でも「市川君」と書き込むことはできる。
- もう少し具体的に、不信感や嫌悪感の原因を書いてもらわないと、いたずらなのか忠告なのかがわからない。
- 躁鬱を克服したご経験をお持ちようで、それについては、とても興味がある。
といったところです。
対話のために、もう少し情報を提供いただきたく、よろしくお願い致します。(一体、対話の先にどんな結末が待っているのでしょう(笑))