理解される感覚

言語なんてものはおおよそ、互いの理解に役に立たないものだとは思っていますが、考え、感じ続けた結果を自らが忘れないために言語化した命題を理解してもらえそうな人に出会ったとき、まるで突然目の前に美しい景色が広がったかのような喜びを強く感じます。
大げさに書きましたが、それは別に深い思想でも信念でもなく、ふとした些細なことに関する考え方に属するものです。であっても、生きている中でそれほど恵まれる機会ではない。心地よい会話であったとしても、そのほとんどは冷めた目で見れば後を引かないよう配慮された辻褄合わせの会話です。
人は会話をしながら、互いのにおいを嗅いでいる気がします。嗅覚を構成する長い受容体の遺伝子と同様に、思考は台詞に反応する複雑な受容体を生成するのかもしれません。