卒業?

「コンピュータは人間を進化させるか アラン・ケイ氏インタビュー」を読んで、違和感を感じるようになった部分がありました。

すると、ほかに方法はないか考えるという科学的思考が始められるようになる。世の中の人が皆そのような理性を身につければ、科学は進歩し、短絡的な善悪判断による紛争もなくなるかもしれない。

科学的知識ではなくて科学的思考というところがポイントだと思いますが、20年前なら信じられたこの言葉も、今では、科学的思考に紛争もなくすほどの力があるとは思えなくなりました。現代は膨大な科学的知識の時代です。個人の科学的思考をあざ笑うかのような多くの現象が見つかっています。例えば、この記事でアラン・ケイさんは、カエルが動くものしか見えないことから例え話をされていますが、アラン・ケイさんにとって「カエルが動くものしか見えない」という命題は科学的思考で得たものなのでしょうか。たぶん、文献から得た科学的事実であって、アラン・ケイさん自身、思考なしに命題を鵜呑みにしている人に見えてしまいます。これでは紛争はなくならない。紛争は憎悪の鵜呑みの連鎖だから。*1

Squeakがなぜ必要かはこういう面から見るといい。先進国で、科学者とまともな会話ができる成人、言い換えると科学的リテラシーを持つ成人は5%未満だ。科学的リテラシーとは、科学の本を読んで、その考えをほぼ理解でき、科学者とそれについての発展的会話もできる能力だ。95%の大人は科学的リテラシーを持っていないのだ。

Squeakは素晴らしいソフトウエアですが、私の中でSqueakと科学は結びつかない。Squeakは表現メディアであって、科学的思考とは関係ない。科学的思考というのはある種の因果関係の明確化の作業であって、Squeak上で何かを表現したからといっても、それはあるモデルのシミュレーションであって世の因果関係とは直接関係はない。この辺りに強い違和感を感じます。例えば、2年前に、小学生の4割が太陽が地球の周りを回っていると答えて、地球が太陽の周りを回っていると鵜呑みにしている大人たちが憂いたという構図がありましたが、この悲惨な状況をSqueakが解決できるとは思えない。やはり、因果関係を知るには自然や数をよく観察することで、コンピュータのように非常に自由度の高いツールの利用は「科学的思考」を身につけるまでは、むしろ弊害があるんじゃないでしょうか。
私は、この歳になって、科学的思考から多くの喜びを得ることはできますが、それは世の中の喜びの中のごく一部だという感じがしています。Squeakで無理に?科学的思考を引き出そうとしなくても、Squeakから工学的思考もデザイン的思考も磨けます。そう、サイエンスよりもアートと、より親和性が強いと思う。
アラン・ケイさんは、

先進国で、科学者とまともな会話ができる成人、言い換えると科学的リテラシーを持つ成人は5%未満だ。

と嘆きますが、他に工学的リテラシーを持つ成人が5%、デザイン的リテラシーを持つ成人が5%、経済的リテラシーを持つ成人が5%、政治的リテラシーを持つ成人が5%、宗教的リテラシーを持つ成人が5%と加算していけば、現代も捨てたものではないではないですか。
ところで、アラン・ケイさんは、別のインタビューで、

Web関連の人たちは、何でも自分でやりたがる。過去から学ぼうとしない。過去に対する好奇心が薄いのだろう。だから、Webの技術は遅々として進歩しない。

これだけは、手放しで共感できます(笑)。でも、だから、自分でやることができるから、コンピュータ(Web)は魅力があるんです。

*1:「科学」という言葉にどうしても思い入れが強すぎて、アラン・ケイさんの主張を歪曲してしまったようです。「ほかに方法はないか考える」ことを科学的思考と定義しているのだから、そう素直に読めばよかったです。