故郷に帰りて想ふ

久しぶりに実家に帰って親子孫がみんな集まったら、妙に口調の厳しい人たちが増えたなという印象でした。周りが口がきつくなったわけではなくて、受け取る私のメンタリティの変化でしょう。大学を辞める前にもこういう状態がありました。
親が、珍しく、ちょっと雰囲気のある食事処に連れて行ってくれました。ししゃもの卵を使った前菜から始まって、メインが・・・思い出せん。和風の創作料理が美味しかった。「実家に帰るといつも同じメニュー」と言った私に気を使ってもらったようです。ちょっと意味が違うのですけどね。子供もいい大人にまで育てたのだから、少しは贅沢してみては?というつもりでした。お酒だって色々飲めばうまい酒もまずい酒も少しはわかるし、料理だってそう。私はバークレーChez Panisseで食べた濃厚なエビのスープが10年以上経っても忘れられません。アメリカまで遊びに来てもらった時に確かここには連れて行けなかったのが心残りです。おいしい飲茶の店には連れて行けたのですが、それも食事の時間を外していて十分堪能はできなかった。
食通になんてならなくても庶民の舌でも伝えたくなる感動がある。最近できた趣味である映画鑑賞の帰りに、どうぞプチグルメをお試しください。(お金は、上がらない株を売るなり、息子から投資を回収するなり、いくらでも方法があるでしょう。)
実家での昔からの唯一の贅沢、食後のフルーツは相変わらずうまかったです。

努力家の妹は、甥っ子が以前に出したWii Fitのヘディングゲームの高得点がいい目標になったようで、1時間の努力と集中の結果、パーフェクトにワンミスのみという突出したスコアを叩き出しました。何度やってもランキングもできなかった状態からの成長ですから、モティベーションを作り出して維持する力は大したものです。その後、私が足ではなくて手を使って一発で準パーフェクトを出したら、怒ってました(笑)。もちろんずるですが、私も別に何もしていなかったわけじゃない。ゲームを観察し続けて、コースは多数あっても当たり判定のためのプレーヤの条件は基本的に3カ所で、一番難しいのは中央。だから左右を押すことと両方離すことでこのゲームは攻略できるという仮説を立てて、仮説が正しいかどうか検証しただけ。私はゲームの本質が知りたかった。仮説が真理だとわかればその後の練習方法も変わることでしょう。妹は専門分野でひとかどの人物となりつつあるようですが、ちょっと頭の堅いところがあるようです。あるいは柔軟性と根気の両立はかなり難しいテーマなのかもしれない。
それにしても、運動神経というものはかくも衰えるものか。かつてニュータイプを自称したゲーマーもただの鈍いおやぢと化してしまった。鈍くなるとディテールを愛せなくなるんですよね。昔なら1フレーム毎の移動量をコントローラで制御できたからパターンのディテールも記憶する意味があった。今は「うわ」と最大操作してドーンと当たって終わり。

甥っ子たちは、アイデンティティの確立のため、それぞれの仕方で模索しているようです。大学、高校という環境ではとかく情報に偏りがちですが、実体験を通じて吸収できることを大切にしてくださいと老婆心で祈るばかりです。

姪っ子はもう完全に"人"になっていました。兄貴嫌いのお母さんの前では気を使って寄ってきませんでしたが、親が居ない時には遠慮がちに(引き気味に?)笑顔で遊んでくれました。感謝感謝。