日本人と愛

mixiで知人と愛(と言っても恋愛やら家族愛やら生っぽい愛ではないですが)について考える機会があり、漠然と思っていたことが少し整理できました。
知人の主張は、「完全に分かり合うことは無理だから齟齬を許容する必要性がある。それが愛である。」ということで、全く異論はないのですが、私の頭の中にある少し限定的な意味で愛を考えると、今の世の中が見えてくるような気がしました.
私の中では、愛は「愛する」という動詞に結びつく言葉で、能動的というか行動を伴う概念という気がしています。で、日本人は本来、この愛というものを避けてきた。卑近な例で結婚を見ると、1970年辺りから見合い結婚と恋愛結婚の比が逆転します。24時間テレビ「愛は地球を救う」が1978年に始まっていますから、70年代が時代の転機だったよう。
それまでの日本人は、愛ではなく情がベースだったと想像しています。もちろん深い感情を持っていたはずですが、これを行動に結びつけるのは危険だという感覚があったのでしょうね。何かあっても「仕方がない」と自分の大いなる感情をだましだましなだめて行動へ移さないように耐える部分がありました。だから共生が成立した。
ところが、今や愛の時代です。まるでスーパーマンのように、あらゆる被害者を救うため、世の悪を無理矢理にでも見つけ出して叩きのめすのが今の世の中。談合、聖職者のスキャンダル、飲酒運転幇助。食品メーカの問題。これらと愛をくっつけては大勢の人から怒られるでしょうね。しかし、「愛はXXを救う」というドグマが今の世の中を生きにくくしている、と思います。アフガニスタンイラク戦争アメリカという国が発動した愛でしょう。
ワンガリ・マータイさんがMOTTAINAIキャンペーンをされていますが、日本人のアイデンティティを再確認するには「仕方がない」という言葉を見直さないといけないと思います。