プロレス

祭りのあと

昨日、職場の人にプロレス観戦に連れて行ってもらいました。高校の頃、毎週金曜の8時にはかぶりつきでテレビで新日本プロレスを観戦していたプロセスファンですが、ライブは初めてです。
見に行ったのは全日本プロレスでした。プロレス団体の分裂細分化、際物化(過激化、お笑い化)、総合格闘技の台頭、世界が大きく変わった中で、プロレス文化をこつこつと守ってきたというオーソドックスなプロレスでした。決してガチンコではないですが、魅せることを意識して、肉体の強靭さや技を切れ味よく互いに交わす。因縁関係、レフリーと反則を使った笑い、カリスマのオーラ、場外の迫力。
ステンドグラスの前でプロレスするところが、また日本的。
全員で会場を準備して、興行が終わればすぐ片付けが始まる。戦いというよりまさに祭りです。
互いに共通の目的を持って戦う姿を見ると、セメント(真剣)ではない=八百長が如何に短絡的な理解かわかります。こういう文化を見ると、談合も報道されるほど悪いものではないのでないかと思います。公正な競争って、やはりアングロサクソンの論理に毒されているだけで、決して唯一無二の正しいルールではない。