美徳

遅ればせながら、安倍新総理の所信表明を聞きました。安倍さんは政治家なんだと改めて思いました。引用した吉田松陰アインシュタインと政策の間に大きなギャップを感じました。
教員の免許更新制度と吉田松陰さんが多くの維新の士の師となったことはおそらく何の関係がないし、短期間に多く触れた経済外交政策アインシュタインが愛した日本人の謙虚さ、自然との融合と関係がない。
思えば、過去に多くの外国人がこよなく愛した日本人の美徳は、いったいいつ頃から持ち、いつ頃失ったのでしょう。
いつ頃から持ち得たのかは私には知ることができないことですが、いつ頃失ったかについては、何らかの痕跡が自分の中に残っているはずです。なぜなら、私が生まれたときには美徳は存在していたはずだから。
土地や株のバブル期かもしれない。
聖職者がいなくなったのは、いつごろだろう。
あるいはインターネットの普及(1994年)と無関係ではないかもしれない。
バブルの終わりの1991年から大学進学率が急激に上昇しましたが、これと関係があるかもしれない。

嘆く自分に美徳が備わっていないところが今の日本の状況をよく示していますか。