後藤新平 日本の羅針盤となった男

後藤新平 日本の羅針盤となった男

後藤新平 日本の羅針盤となった男

もし、それが実行されていたら、おそらく東京の戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時(関東大震災)の計画が実行されないことを非常に残念に思います。


関東大震災の際に幻となった帝都復興計画を立案したという話に興味を持ち、読んでみました。

復興案の骨子は、
より多く、より速く、より効率的に人やモノ、資本、情報を流通させるとともに「燃えない都市」を建設する。
広い幅の道路
災害時の避難場所としての公園の確保
そのための焦土全部買い上げ(地上げ対策)と区画整理実施。
買い上げ予算41億円。(国家予算の三倍以上)長期公債を充当。
そのた復興予算に20億円+15億円。
他閣僚の不理解の中、帝都復興院に著者が「人間道楽」と評する人材確保。

復興院に招聘されて「私はどんなことをやるのでしょうか」と新平に聞くと、「そんなことはおれに尋ねてもわかるものか。そっちで考えろ」と返答される。

帝都復興院の邁進と反対派による政局が不審死、テロ(虎ノ門事件)に及び、震災内閣は4ヶ月で総辞職。


最初の引用は関東大震災から60年後に昭和天皇がされた発言とのことです。震災後の復興と戦災の規模がリンクしているところに国家元首のすごさを感じました。