言葉と情報の違い

最近、表面上感情的になる理由がわかりました。人の口から出る言葉(情報)の曖昧さに対して感情を爆発させていたのですね。普通の会話というものは、真偽を問う情報ではなく、共感を得るための鳴き声なのだということに気がついていませんでした。私は言葉を情報として聞き取るから、ピンぼけの画像のフォーカスを合わせようとするかのようにして、人の反感を買い、それに対して感情を爆発させる。
記憶や語彙が減って、自分自身が曖昧な表現をするようになったこともこの傾向をあおっているのでしょうね。いよいよ修羅の道に入ったか。