中原中也

一年以上前ですか。少し字の練習をと思い立って、「えんぴつで美しい日本語」をやり始めました。何も考えずになぞるところが何かしら童心に帰って、更に途中で面倒くさくなって殴り書きになってくるところは童心どころか子供そのもののようでおかしかった。
例によって途中で放り出していたのですが、突然、思い出しました。
宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」が終わって、次は中原中也さんの「汚れつちまつた悲しみに」でした。この詩はちょっときれいすぎますね。ただ、この詩にも出てくる怠惰と中原中也さんが絶えず戦っていたことはよくわかります。

倦怠
倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。

真ッ白い光は、沢山の
倦怠の呟きを掻消してしまひ、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨ましき憎怨……
忽ちにそれは心を石と化し
人はただ寝転ぶより仕方もないのだ
同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながらにかぞへなければならないのだ。

はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、
人はただ、絶えず慄へる、木の葉のやうに
午睡から覚めたばかりのやうに
呆然たる意識の裡に、眼光らせ死んでゆくのだ

若い頃はこういう代弁を探しまわっていたような気がしますが、歳をとって多くのボキャブラリを失ってから、言葉に期待しなくなってしまった。
結果として、ここしばらく、品性のない言葉が口をついて出るようになったような気がします。
これもまた、変化。仕方がない。Embrace Change.