ヨーロッパはなぜ環境問題を選んだのか

環境問題は新しいイデオロギーだという話です。
IT革命という名の下、モノの価値がひたすら低下して、情報に価値が移行した時期がありました。ごく最近まで携帯電話という端末はただみたいなものと思われていました。パソコンもそうです。それが消費に拍車をかけて、景気がよくなりはしましたが、あらゆる意味でモノを大切にしなくなった。ユビキタスモノ社会の到来です。
実際にはそんなことはないと気がついたのが、環境問題でしょう。環境問題の詳細なロジック(例えば温暖化と温暖化ガスなど)が正しいかどうかは私にはわかりませんが、少なくともエネルギーを消費(して生産)することがコストがかからないはずがないと直感します。明らかに情報よりエネルギーの方が高い。
環境問題は、資本主義に修正を余儀なくさせるイデオロギーに近い概念だと思います。イデオロギーは思想で終わってはイデオロギーになりませんが、ヨーロッパ諸国がこれを採用したところがイデオロギーへの第一歩でしょう。(日本発でもおかしくはなかったのですが、日本は思想を発信するのは相変わらず苦手なようです。)
消費が減らない以上、起こりうるのは規制と技術革新だけですが、京都議定書ではヨーロッパがうまくやったようです。しかし長い目で見る限り、勝者は日本のような気がします。