抽象と具象

ふと、世界には、無条件に尊く甘美なものと、点数が付けられるものがあるかと思いました。
例えば、囲碁には実力としてはっきり段位がつくものですが、同じ段位でも、華のある打ち手もいれば、そうでない打ち手もいる。段位は点数で、華はそうでないもの。
一見すると、抽象は客観的で、具象は五感で認識がある必要上、主観と捉えがちですが、実は構築する抽象の感覚こそ主観であります。
今もこの件で、テレビで、爆笑問題の太田さんが立命館大学の教授をいじめていました。
錯視の研究されている先生へのインタビューだったのですが、では錯視は抽象なのか具象なのか。当然、主観であり、それが意識を介入しないところにある種の厄介さがあります。
事実、錯覚、意識的主観。
私には悲しい錯覚が多いような気がします。