青春の夢と遊び

バルズールの話は、永遠の少年が大人になることのむずかしさをよく示している。うっかり大人になろうとすると命を失ってしまうのだ.永遠の少年元型と同一化して生きている人たちが、大人になることに対して強い恐怖感をもっているのも当然のことである。
このような人は、なかなかの才能をもっていて、よいアイデアを思いついたりする。そこでそれを発展させてゆけばよいのに、と思っているのに、必ず途中のあたりで投げだすか、何か他に興味のあることを見つけて、そちらのほうに手を出してしまう。
それはひとつの境を越えるということに、強い不安をもっているとしか言いようがない。境を超えない範囲で何やかやと目まぐるしく動くので、大活躍をしているように見えるが、ほんとうの仕事はしていない。境を越えるためには、どうしても傷つかねばならないし、バルズールの話でロキが必要であったように、何らかの意味で開くということが関与してくることもある。
悪を引き受けるのを拒むことが、大人になることを拒むことにもなる。・・・
永遠の少年の元型は、創造的な活動には必要なものである。その上昇の勢いというのはすごいものである。しかし、いつもそれと同一化していては、ほんとうの作品はつくれない。

河合隼雄さんの「青春の夢と遊び」の第五章「別れのとき」は何度読み返しても秀逸です。こんな文章を書かれたら、河合さんには私のすべてを理解してもらえるんじゃないかと思ってしまう。

海外出張先で風邪を引いたときに見た夢の話を以前に書きましたが、身近な女性の夢でした。以前から意識はしていたのですが、夢に見るほどだったかと感心しました。ところがそれが(おそらく正確にはそれゆえに)今ではある種の嫌悪の対象になっている。私が永遠の少年のままなのに、彼女は大人への橋を渡って行ったからでしょうね。

「別れのとき」には裏切りについての記述があります。さて、会社に入社してから何度目の裏切りになるのでしょうか。私は一切それを望まないのに、会社という組織と対峙する時、それはある時期必然的に起こります。