アルジャーノンに花束を

アルジャーノンに花束を

アルジャーノンに花束を

ついしん。どおかニーマーきょ−じゅにつたいてくださいひとがわらたり友だちがなくてもきげんをわりくしないでください。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのわかんたんです。ぼくわこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。
ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。

この本を初めて読んだのはいつだったのでしょう。大学生のときだったのか、大学院生のときだったか。深い感動と当時のメンタリティを照らし合わせると、大学院生のときだった気がします。鴨川の水面の変化を何も考えず見つめ続けた頃とよく合います。
環境を変えるために、大学院を中退して会社に入りました。環境を変えるということは素晴らしいことで、鬱屈して、このまま行っても仕方がないという閉塞感から全く違った世界に入って刺激がありました。そのときにも何か引きずっていたのでしょうね。たまたま職場の先輩が「アルジャーノンに花束を」の原書をお持ちで、それを借りて昼休みにずっとパソコンにタイプしていました。結局何ヶ月かで全部入力した。今でもそのファイルを持っています。"Flowers for Algernon"はタイポだらけの文章ですから、タイポも模倣して入力するにはかなりの集中力を要します。
当時、意識としては、こんな素晴らしい作品を書いた作者の経験を追体験したいというところからやっていたはずですが、今思うと、あれこれ考えてしまう雑念から逃避する方法だったのでしょうね。
アルジャーノンに花束を」は間違いなくサイエンスフィクションの枠にとらわれない名作ですが、これをちょっと悲しい素敵な物語として読む人は大勢いても、共感する人は少ないのではないでしょうか。
お別れの時に、冒頭のような、優しい言葉が出てくるような人間でありたい。