欲望

人間の欲について考える時、よく「おしっこしたい」という言葉を頭に浮かべます。生理的信号がある前に、「おしっこをしたい」という意志を持つ人間は一人もいません。生理的信号が伝わると、ひとはおしっこをする必要性/義務が発生します。この時点でも本来、おしっこをすることを欲する人はいないはず。にもかかわらず、母親、子供は「おしっこしたい?」「おしっこしたい」という会話をします。
してみると、「すごいことをしたい」「偉くなりたい」「金持ちになりたい」「心のきれいな人間になりたい」という類いの望みも「おしっこしたい」と同じレベルの気持ちなのかもしれません.生理的信号があって必要性が発生したことを自分の望みと錯覚している。あるいは錯覚ではなく、必要性と望みは区別がないものなのかもしれません。
人間の欲望は、トイレを作ってトイレを我慢するようになって生まれたものかもしれません。