相互理解の前提

あけましておめでとうございます
今年も何人かの方から年賀状を戴きました。覚えていていただけるとはありがたいことですが、今年も不義理をしてしまいそうです。
昔は、あらかじめ年賀状を出すことはなくても返事ははがき一面にぎっしり文字を埋めて出したものです。(大学のときの友人から強い影響を受けました。)今は言葉での情報伝達に限界を感じ始めているので返事を出すのもおっくうになっています。
言葉で何かを伝えようとすると、実はその前に膨大な量の共通経験とその繰り返しが必要です。共通経験によって、共通の前提を持つことができ、繰り返しによって、同じレベルの抽象化に到達することができます。
事象を伝えるだけならこんなことは不要なのですが、このプロセスを踏まずに満足できる相互理解に至ることはあり得ない。大学時代に共感した多くの友人もいつしか遠い他者となっていくわけです。
こういうの、わがままというのでしょうね。相互理解など望まず、相互の無事を確認し合って素直に喜ぶ、これが社会人の道徳だと知ってはいるのですが行動が伴わない。