モモ

楽しみにしていたカフェマテマチカ、出張が入って参加できなくなりました。リーマン予想の予習のモチベーションも一気にダウン。
で、次なる更新ネタを考えました。自戦記もその1つ。比較的更新しているTwitterって、感性なんですよね。考えない。ブログだと少しは校正するので、稚拙ながら思考の結果という感じがします。


大学生の頃からでしょうか。主に書籍から印象に残った言葉をメモしていました。ホームページを作った時に、メモした言葉を、javascriptでランダムに表示させるようにしています。
何年か前から言葉の追加の頻度が減ったのは、本をまともに読まなくなったことや、感受性が鈍くなったことや、歳を経て大体想像がつくようになったことや、色んな要因があるのでしょう。
してみると、言葉自体よりも、その言葉によってある種の感動を得たことが大切だったのかもしれません。
その感動ってヤツを振り返ってみようかと思いました。


「こんなに時間がかかるのは、彼がけっしてまちがったことを言うまいとしているからだ。」エンデ『モモ』

ミヒャエル・エンデさんの本との出会いは、手元にある本の増刷年を信じると、1984年末か1985年。
1984年と言えば、Macintoshが発売された年ですが、その頃、私はパソコンから離れた生活をしていました。高校生の時に買ってもらったPC-8001を下宿に持っていったのかさえ、記憶にない。
下宿の近くに、児童書専門書店があって、ちょくちょく通っていたことを思い出します。裏手にあってなかなか気がつかない場所で、演劇やら詩やら自己表現の活動を活発にしていた同級生から紹介してもらったような気がします。
その同級生とは、学園祭用に私の下宿で一緒にコマ撮り映画を撮りました。人が見ていない時間帯にはモノはみんな活き活きと動き回っているんだよという映画。最初にして最後の私が主演(主演はモノで私は最後のオチ)の映画です。あのフィルム、どこにあるのだろう。他にも演劇活動とか誘ってもらいました。とても交友関係が広く、確か、C.W.ニコルさんとも交流があるという話を聞いたことがあるような。彼にとって私が如何程の存在だったか不明ですが、その同級生は私の在学中に亡くなりました。脳腫瘍が原因と記憶しています。クラスで思い出のアルバムを製作したりしましたが、正直に言って彼が死んだ実感は、未だに私にはありません。


引用文の「彼」の名前を、私は当時ペンネームに使っていたほどでしたから、言葉のような生き方に憧れていたのでしょう。当時、ゼミやら自然科学の議論の中にどっぷり浸かっていましたから、仮説以外については、ちゃんと演繹して、間違ったことは言いたくなかったんでしょうね。うーん、気持ちを察しはしても感動は蘇らない。


実際には正反対の、適当に良くしゃべる人生でした。彼のような人にも出会いましたが、今となっては難しい価値観となりました。「まちがったこと」とか「ただしいこと」とか、数学の定理以外証明しようがないですから、まちがったことも言ってみるもんだというのが今の気持ちです。