死刑か無期懲役か、終身刑か

裁判員制度が始まります。
有罪か無罪か、真実か虚偽かは裁判員の判断も意味があるかと思いますが、素人が量刑の判断の一端を担うのは、法治国家とリンチの境界はどうなるんだと思います。
私はどちらかというと死刑寄りの人間で、「矯正の余地の可能性」なんてものは評価できず、自らの生命、生活に関係するものだったかどうかが基準になります。過失や、金銭目当てで強盗の結果殺人、というケースでは加害者の言い分も聞こうかと思いますが、そうでなければ、被害者遺族が許さない限り死刑ですね。これが感情的量刑。でも、法治国家である以上、(感情より軽い必要は全くありませんが)感情から可能な限り離れた基準を下に判断されるべきという気もします。
当時の国民の感情に漸近的に近づくように量刑も決定するのが合理的かもしれません。
20年前の日本人なら、ろれつの回らない大臣も「仕方がない」と許したでしょうね。今はミスを許さない時代。