父のこと母のこと

休肝日を取って、少しお酒を飲んだせいか、ほろ酔いで気持ちよくなり、今まで、いつかは書こうと思っていたことの1つが書けるような気がしました。
中学生のときだったか、父が身内でやっている会社を辞めると言い出しました。私もそろそろ、その時の父の年齢に近づきつつあります。何万人という従業員の会社に勤めていても色々思うところはありますから、身内の会社だと一層、何かあったのだと思います。そのとき、色々、色んな組み合わせで話し合いがあったようですが、涙ながらに私に語った母の覚悟の言葉が今でも忘れられません。一体家族はどうなってしまうのだろうととても不安になりました。
結局、会社を辞めることはなくなって、それまでの日常に戻りました。あっけないほどに戻った感じがあったのですが、私の心は元には戻りませんでした。不安がなくなった代わりに、家族を持つとやりたいことができなくなるのだという強い気持ちが残ったのです。
小学2年生の時でしたか。習っていたはずの九九をまだ習っていないと嘘をついて、それが授業参観の時にばれて、ひどく怒られました。泣きながら九九を唱えたことを覚えています。以来、勉強は(自分の記憶では、)そつなくこなし、知識欲を満たすことは父は何でも許してくれました。本の購入も無制限でした。父がやりたいことができなかった人生を送った分、私が興味を持ってやりたいことをすることは、父が認めてくれる最大の美徳だったのです。
逆に、物欲は抑える方でした。親戚の子の持っていたホッピングマシンが欲しくても、泣いても欲しいとは言いませんでした。
この欲望の偏りが、ある意味、まずかったのでしょうね。「我慢しなさい」と怒られた記憶がない。だから、「家族を持つとやりたいことができなくなる」という知見は私にとって我慢できない大きな恐怖になりました。

父も母も、普段はそんなことはお首にも出さないほど、明るさとユーモアに溢れた人ですが、家族のために何かをあきらめ飲み込んだ父のやるせなさ、父の怒りを受け止め家族のために覚悟した母の悲哀を想うと、「(産み育てていただいて)お二人にとても感謝しております、どうか、万が一お二人が互いに理解できない部分があっても、それぞれが深い悲しみに耐えていることは私にはわかりますので、互いに慈しみ合う日が一日でも一時でも訪れますように」と祈ることしか私にはできません。