現実が見えるひととき

いつも会っている人たちとコミュニケーションしていると、自分が頭の中で作った「現実モデル」の中で生きていても、たとえそのモデルが現実と如何に違っていても矛盾が発生しないようなモデルになっているため、気にせず生きていけます。ところがコミュニケーションしたことがない人と世間話以上の話をする機会があると、現実と「現実モデル」が如何に違っているか思い知らされる瞬間がある。
それはある意味精神的に過酷な瞬間ですが、脳の中のモデルが壊れる瞬間なので、誰のせいにすることもできず、ただただ謙虚になるしかない。
モデルが壊れた瞬間は、日常会話の言葉すべての意味が変わってしまいます。なぜか謙虚と言葉に切っても切れない関係を感じました。
ネコは人とほとんど同じ感情を持っていると信じますが、謙虚は言語を使うヒトだけに発生する感情かも知れません。
思えば、私が現実と離れた「現実モデル」の中で生きるようになったのは、海外経験のときからかもしれません。
言葉がほとんどわからず、わからない世界の中で、自分の現実を増やすために、つたない英語をたくさんしゃべりました。自分のしゃべったことだけは、現実に起こったことと自分が確信できることだった。他人の言葉を解釈なしに忠実に頭に入れることができなかったので、聞いたことは復唱なしに解釈してから記憶するようになっていました。だから自分だけの世界が構築されていく。英語が話せなくなって、海外経験もスキルは残らずいい思い出だけになってしまったと思っていましたが、こんな負の遺産があったとは。
現実とは厳しいものです。まるで長い夢から覚めたよう。明日からしばらく現実と直面しないといけない。