名人傳

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/620_14533.html
中島敦さんの名人傳を声に出して読んでみました。
将棋の羽生善治さんが、「簡単に、単純に考える」でこんなことを言われています。

…現代将棋ではこういう細かい動きが重要になっているのです。私はそれで思ったことがあるのですが、指し手を読むのに、人間の感情は非常に邪魔になるのです。…でも逆に、閃くときというのは、そういう部分が残っていないと生まれないんじゃないか、という感じをもっているのですが。

その結論として、最後は名人伝の名人のようになれたらいいと。
稚拙ながら、競技である以上、肉体的ピークがあって究めることはできないのが宿命ですが、競技は究めるための手段である場合にはそうではない、そういう心境になりたいというお気持ちだと邪推しました。
名人傳では、現代の価値観とはほど遠い成長の過程が描写されています。

  • 知識の価値が全くない。
  • 非凡になるまで感覚を磨くことから始まる。
  • 肉体的鍛錬の描写がない。
  • 定まったルール内での優劣ではなく、新たな価値の創出こそが問われる。
  • 当たり前だが経済的観念がない。あるのは名誉だけだが、それさえ本人には価値がなくなる。

名人になれば、資産価値も投機マネーの流れもグローバリゼーションも関係ないですね。世界中が、マネーゲームや食料高騰で餓鬼と化そうと関係ないわけです。ただそこに至るまでに、この名人も師を殺そうとする餓鬼を通過している。
私は、名人よりは宮沢賢治さんのデクノボーを目指そう。